東京高等裁判所 昭和37年(う)2861号 判決
被告人 阿部栄時
〔抄 録〕
よつて所論に照らし記録を調査して按ずるに、なるほど被告人は捜査官に対し「事故現場の交叉点の手前約二〇米の辺で初めて消防自動車のサイレンに気附いたが、交叉点の入口に来てもその姿は見えなかつたので、そのまま進行して交叉点に入り助手高橋真佐雄の急停車を求める叫びを聞き初めて、左前方約一四米の地点に消防自動車が既に進行し来ているのに気附き、驚いてハンドルを右に切りながら急停車の措置をとつたが間に合わず、本件事故を起した」旨述べている。しかしながら右消防自動車の運転手龝元一三は捜査官に対し「私は交叉点の手前側横断歩道の近くで速度を時速約一五粁に落し、交叉点の左右を注視したところ、交叉点の右方約二〇米の辺に被告人の自動車が進行し来るを認めたが、交叉点の右側歩道上及び左側歩道脇に私の自動車の通過を待つていると見える自動車がそれぞれ停車しているを認め、被告人の自動車も当然交叉点の手前で徐行または停止して私の自動車の通過を待つものと判断し、進行方向への信号が赤ではあつたが、そのまま進行したところ、被告人の自動車は予期に反しそのまま高速度で交叉点に進入して来たので、私は驚いて左にハンドルを切つて避けようとしたが間に合わず、私の自動車の右側前方部分に被告人の自動車を突当てられた」旨述べて居り、この供述は、右消防自動車に同乗していた金子仲次の捜査官に対する供述とも一致し、真実であると認められる。そして右龝元、金子の供述と、前記高橋真佐雄及び附近路上で本件事故を目撃した長崎和子の捜査官に対する各供述を綜合すれば、被告人は、交叉点に達する前、サイレンにより消防自動車が交叉点近くを交叉点に向け進行していることを知り得る情況にあつたに拘らず、その判断を怠り、また交叉点に接近した頃には、左方から交叉点に進入しかかつている消防自動車を当然認め得る情況にあつたに拘らず、交通信号の変る前に交叉点を通過することのみを焦り、交叉点の左右に対する注視を怠つて、右消防自動車を見落し、時速約四五粁の高速度のままで急いで交叉点に進入した事実を窺うに難くない。されば本件事故における被告人の過失は、単に所論の如く、サイレンにより消防自動車の所在動向を判断してこれに対処する注意を怠つた点のみでなく、交叉点に進入するに際し左右を注意し、消防自動車が交叉点に進入して来ていないかどうかを確かめる注意を欠いた点にもある、と云わなければならない。けだし、被告人が交叉点に進入する際交通信号が青であつたにしても、信号に制約されずに通行し得る消防自動車が近くにあることが明らかで、これが何時交叉点に進入し来ないとも限らないと考えられる場合であつたから、この点を考慮し、交叉点の左右を充分に注視して安全を確かめるべき義務が被告人にあつたことは、云うまでもないからである。なお所論の如く、当時は雨降りで左右の視界が稍狭く、また交叉点手前側の横断歩道の左端に小型貨物自動車が停車していて、その蔭から出て来る消防自動車を被告人が早期に発見するのに、多少妨げとなる状況にあつたことは、否定し難いにしても、被告人は前述の如く、交叉点の左右に対する注視を甚だおろそかにしていたと認められるから、右の事情は被告人の過失を論ずるうえに多く影響するものでなく、また消防自動車が、その進行方向の交通信号が赤であるのに、交叉点に進入したにしても、その進入する際の情況が、龝元一三の前掲供述の如くであつたのであるから、交通信号に制約されずに通行できる消防自動車としては、格別過失を犯したものとは認め難く、この点も所論の如く、被告人の過失を軽減する事由とはなし得ない。
(兼平 斉藤 関谷)